はじめに
こんにちは、えりです!
前回は「療育手帳の更新〜発達検査の結果とやらかした話〜」をお話ししました。
今回はブログ限定で「良いお母さんを辞めた日」のお話をします。
前回の記事はこちら↓
本編スタート
2020年にかーくんを出産してから、
今年で育児4年目に突入しました。
私の育児の様子はというと、育児日記でご紹介している通り
かなりのマイペース&あっけらかんとしたものです。
が…最初からそういうわけではありませんでした。
ここに至るまでいろんな葛藤や思いをしてきたので、
そのお話をしたいと思います。
学生時代の思い出
育児の話をする前に、少しだけ学生時代のお話をします。
私は両親と妹、祖母の5人家族の家に生まれました。
(祖母は中学の時に他界しました)
よくある家族構成。
1つだけ他の家族と異なるのは、私が今で言う「きょうだい児」ということです。
ただそれ以外は至って普通で、のびのび育てられたためか
家族の中ではかなり自由奔放。
すぐにフラッとどこかに行っては迷子になりかけることはよくありました。
(幼い頃、親が隣にいるのに迷子センターに連れて行かれかけるくらいフラフラしてました)
その割に外面はかなり良いため、
学校では「真面目でしっかりしている」と言われることが多かったです。
それは友達にも同じで、
自分では意識していませんが「しっかりしている」と
思われることがほどんどでした。
実際、友達に対して割と世話を焼いている方だったと思います。
(妹に対してはそこまで面倒見良い方ではないので自分でも不思議です)
そんな中友達からよく言われていた言葉があります。
「えりちゃん、お母さんみたい!」
「良いお母さんになるね!」
たぶん
しっかり者+世話焼き=良いお母さん
こんな印象をもたれることが多かったため言われていたんだと思います。
私自身結婚願望や子どもは好きだったのもあり、
そう言われるのが嬉しかったです。
…後にこの言葉に苦しめられるとは思いませんでしたが。
悩みと結婚まで
大学生の冬、後に結婚することになるパパと交際が始まりました。
この頃はまだ結婚について意識していませんでした。
が、交際年月が経つにつれ、
「結婚」の文字も会話の中に少しずつ出てきました。
交際が始まって少ししてから
自分が「きょうだい児」であることは伝えていました。
それでも実際に「結婚」するとなると話は別。
「きょうだい児」は結婚を反対されるという話はよく聞いていたので、
パパの家族に受け入れてもらえるか不安で仕方なかったです。
けれど私の不安とは裏腹に、
お義父さんから「好きにしていい」と言ってもらえました。
受け入れてもらえたことが本当に嬉しかったのを覚えています。
こうして長い交際期間を経て、結婚することになりました。
出産と言葉の呪縛
「妊娠10周目ですね」
お腹にかーくんがやって来たとわかったのは、結婚式の準備中でした。
妊娠中はちょこちょこトラブルはあったものの、
それでも順調にかーくんは育っていきました。
その時
「ああ、もうすぐお母さんになるのか」
と喜びと期待でいっぱいでした。
その後2020年1月。
初産ではかなり早い方の約8時間の陣痛の後、かーくんは生まれました。
が、理想と現実は大きく異なりました。
経験された方ならわかるかと思いますが、
噂で聞いていたより新生児時代の育児は大変でした。
それでも頭の中に過ったのは
「良いお母さんにならないと」
という言葉でした。
母から「完璧を目指すとノイローゼになるよ」とよく言われていました。
育児が始まってから言葉の意味はわかっていました。
けれど、頭の中ではそれよりも先に染み付いた
「良いお母さん」という言葉が離れませんでした。
…が、ここで大きな壁が立ちはだかりました。
里帰り中のかーくんが生後1ヶ月の頃、
パパの「カステラ県」への転勤が決まりました。
かーくんはまだ生まれたばかり。
どのくらいの転勤になるかわからなかったため不安ではありましたが、
転勤について行くことを決意しました。
生後2ヶ月になり、里帰りしていた実家からパパが待つ家に帰りました。
が、1ヶ月もしないうちに引っ越しの準備が始まり、
初めての県外での生活が始まりました。
(次回に続く)
あとがき
いかがでしたか?
今回ブログ限定で且つ文字だけの記事にした理由ですが、イラストではうまく表現できる自信がなかったためです。
実はこの記事は前からお話したいと思っていた内容で、
かーくんが年中になるのを機会に書き始めました。
次回はカステラ県での育児と以前から記事でも書いている
あの「1歳半健診」のお話をさせていただきます。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
次回の投稿もぜひご覧ください。